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第2回 幼児虐待の記事に思う

「朝日新聞」で幼児虐待の特集を何回かに渡ってやっているのを読んで、心が
ひどく重くなった。虐待が発見された場合、うまくいけば施設に預けられることに
なる。預けられてその子が幸せかどうかはまたいろいろな考え方があるだろうけ
れど、少なくとも大人からの無防備な暴力からは逃れられるのだから、私はやは
り「助かった」と言えると思う。

施設に預けられた子の様子を読むと、3ヶ月目にようやく声を出して笑った(つまり
それまでは笑いさえも失っていた)とか、ちょっとしたことですねて隠れてしまう、
道の真ん中に寝転がる、かみついたり物を投げる、大人をわざといらだたせるよ
うな言動をとる、かと思うと特定の大人を独り占めして振り回し続ける・…などなど
事情を知っていると痛ましく思えるが、普通には問題だらけの行動だ。

彼らが少しずつ少しずつ、薄皮をはがすように人を信用し、心を許し始めるには、
それ相当の時間が必要で、そこに導いていく指導員が費やすエネルギーたるや
莫大なものが必要であろう。自分の子ですら道理のわからない存在を受け入れ、
カッとしたりいらいらしたりを抑えて成長の介助をするなんてことは、おそろしく大変
なことなのに、他人の子で、しかもそれほど深刻な傷を持った存在を、理解や愛情
とともに受け止めていくなんて、私など考えただけでくらくらしてくる。

けれども、こうして表に出てくる「虐待」の裾野には、虐待とまでは呼べないがそれに
近い心理状況に子どもを追い込んでいるケースもたくさんあるのだろう。いわゆる
「虐待」は暴力を伴ったものを指すのだろうが、「精神的虐待」は遥かに多いのでは
ないか。近年の少年犯罪は、ごく普通の家庭の子(つまり極貧とか、親が働かずに
酒飲んで暴れているとか、そういう特殊な家庭で育ったわけでもない子)が事件を起
こすのが特徴的だが、「ごく普通の」「特に問題のない」というのは、あくまで「大人」か
ら見ての状況であって、子どもにとっては、「苦しく」「どうにもならない問題だらけ」の
状況なのかもしれない。けれども、自分の子がそういう状況にいるということに親が
まったく気付いていないということも多いのだろう。

子どもにとっては何が最も苦しいことか? それは、自分の存在がそのままに受け
容れられないということだろう。「お母さん・お父さんに気に入られたい」という無邪気
で本能的な、そしてひたむきな気持ちを子どもは誰もが持っていると思うが、それが
「もっと勉強ができたら」とか「○○ちゃんみたいに」とか「その性格なんとかしなさい」
と親の好みや願望を通して受け止められてしまうと、大人に共鳴することで生きている
子どもは、自分で自分が受け容れられなくなってしまう。自分がこの世に存在すること
を肯定的に受け止められなくなってしまうだろう。

だろう・・・・なんて書き方をしたが、虐待された子ども達の姿は、実は私自身の切ない
子ども時代の姿とそっくり重なる。私の場合、精神的な虐待だったが、家族と食事する
のも、一緒に住んでいることもイヤでイヤでたまらなかった。ある日うちに帰ってきたら
悪党に一家全滅させられていないだろうかとか、強盗が押し入って父だけでも殺してく
れないだろうかとか、自分だけサーカスにでも売ってくれないだろうかとか、18年間そ
んな夢を見続けて暮らした覚えがある。中学生くらいになると家出と自殺の計画ばかり
立てていた。でも、家族は誰も私のそんなせっぱつまった気持ちを知らなかっただろう。

子どもは自分でどうすることもできない。自分で自分の状況を変えられない。「どんな
状況でもそこにいるしかない」・・・それが子どもなのだ。だから幼児虐待は大人のスト
レス社会とはまったく意味が違う。
自分がそういうところにいたことがあるので、自分は人に愛されるはずがない、人から
必要とされるはずがない、とインプットされた心の苦しさと、そこから起こる行動の混乱
については手にとるようにわかる。私は幸運な出会いに恵まれたと思うが、そうでない
人々が、あの暗闇からいつまでも抜け出せずにいることを想うと重苦しい気持ちになる。
彼らが犯罪を起こしたり、(安易に見える)自殺をしたり、不愉快なトラブルを起こし続け
ることを、認めるわけにはいかないが、どこかで「仕方ないよな」と思っていることも事実だ。

ある意味で恵まれた人達が問題を起こさずに生きていけるのは当たり前のことで、それは
神のお恵みと感謝していればいいだろう。けれども問題を起こしてしまう人達・・・若者でも
大人でも、そういう人達はそういう人達にしかわからない内的事情があって、その人自身
にもどうにもしようのない何かに振り回されて事件や問題を起こしてしまうのかもしれない、
と考えてみる視点を持ちたいと思う。

そして、それとともに、せめて自分の子どもにはこんな闇を歩かせないために、子どもが、
お母さんに愛されている、受け容れられている、という実感を持てるように育てたいと思う。
それは、子どもと一緒にいる時間を長く持つことでもなく、時にいらいらして当ったり、決して
ぶったたいたりしちゃいけないということでもなく、要は、「こんなできそこないのお母さんだ
けど、できそこないのあなたのことが大好きで、大事で、うちの子になってくれて嬉しいよ!」
という気持ちでつきあっていくことではないかと思う。
そんなの、言うのは簡単だけど、実行するのは難しい・・・と言われるだろうか?
私の場合、母親としての不出来を自分でもう責めないと決めてから、親子ともどもラクになった
ような気がする。お母さんはお母さんの生きたいように生きる、あなたはあなたの好きなように
生きてってね。
そう腹におちたら、子どもが無条件にかわいく思えてきた。

                                                   2001.4.3

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