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第13回 本当の感謝って? ~七夕の日に祖父が逝った~

 七夕の日に祖父が亡くなった。入退院を繰り返していたし、もう九十になろうという齢だったから、連絡を受けた時も特に驚きもしなかった。それより「明日の夜までに帰って来なさい」の父の一言で、私の頭はすぐに、新潟から高松までの帰省とその間の子ども達の面倒のことでいっぱいになった。でも、その頭の片隅に小さな悔いが存在しているのを意識しないわけにいかなかった。

 実は2ヶ月前のゴールデン・ウイークに、弟の結婚式で私達一家4人も挙式に出席するため1泊2日で実家に帰っていた。結婚式前日に到着し、その夕方、入院中の祖父を見舞うつもりで私も下の娘を連れて父の車に乗り込んだ。駅に到着する兄夫婦を迎えに行って、その足で祖父の病院に寄ると聞いたからだ。ところが車の中で父と私の口論が始まった。父と私は子どもの頃から相性が悪く、世間でよくある父と娘の微妙にして微笑ましい関係とはおよそかけ離れた関係しか持っていない。なさけないことに不愉快な思いをしないで一緒にいられることの方が珍しく、喧嘩はいつものことだった。

 この時も私の苛立ちは加速度を増し、父は頑なに自己弁護する一方だった。やがて平静心を失った私は大声で怒鳴り出し、蹴飛ばすか、力の限りぶん殴ってやりたいという衝動を抑えるのがやっとになっていた。父はへらへらと私の非を述べ立て、私は屁理屈をこねて怒鳴り散らし、横で聞いていた5歳の娘は黙りこくっていた。やがて片道3車線の大通りで信号待ちになり、父の車は中央車線に停車した。私はすかさず車から降りた。子どもを抱きかかえ、そのサンダルを片手に持ち、ハンドバッグを肩に提げて。自分のサンダルも半分脱げかけたままだった。

 車の間を通り抜けて歩道に渡り、歩き始めてから思い出した。神戸から訪ねてきていた伯父夫婦が私達の車のすぐ後ろをついて来ていたのだ。一瞬、恥しいところを見られてしまったと思ったが、そんなことはすぐにどうでもよくなった。
こんな下らないことがあったおかげで、結局、私は祖父を見舞いそびれてしまった。翌日は朝から結婚式に出掛け、終わるとそのまま高松を発った。様態からしてそう長くないと知っていただけに、新潟に帰ってきてからもずっと気になっていた。普段は冠婚葬祭以外で帰省することもない。まして父とも口もきかないまま別れ、当分顔も会わせたくなかった私は、祖父と生きて会えることはもうないかもしれないと落ち込んでいた。

 そして、7月7日に思った通りのことになってしまった。けれども今さらどうすることもできない。複雑な思いがよぎるのを振り払うように、私は葬儀の準備をして慌しく高松に向かった。到着した時には納棺もお通夜も終わった後だった。親戚が集まって静かに夕食をとっていて、黒尽くめの服の中、着いたばかりの私の服装は浮いていた。新潟から高松は遠い。とんとんとうまく乗り継いで行ったけれど9時間かかった。祖父はもう棺に納められ、姿を見ることもできなかった。

とはいえ、私の中にある祖父の想い出もまた、ろくなものではなかった。4歳から19歳になる直前までの15年ほど一緒に暮らした祖父だったが、何ひとつかわいがってもらった記憶がない。毎年お年玉をもらったとか、そういうことはあっても、愛情というニュアンスで受け取った憶えのあるものは何ひとつないのだ。憶えているのは、私のことを批判し、皮肉り、あざけり、叱り、憤り、最後にいつも「母親の教育が悪い」と締めくくっていた姿だけである。私はよほど性悪で、かわいくともなんともないクソ孫だったのだろう。そして恩知らずで、感謝を知らない子どもだったのだと思う。でもとにかく、私の中ではうんざりするような切ない記憶しかよみがえらないのだ。高校を卒業して離れて暮らすようになっても、祖父を懐く思い出すようなことは一度もなかったし、会いたいと思ったこともない。せいぜいが「離れていたらゆるせるもんだな」くらいの余裕が生じてきたくらいのものだった。

これは祖母に対しても同じだった。祖母は7年ほど前に先に亡くなったが、この時の葬儀のこともよく憶えている。この時は、納棺の時から出席していて、固く動かなくなった祖母を清めて棺に納めながら、私はぽろぽろと涙をこぼしていた。葬式でお経を上げている時も、火葬場での最後の別れの時も、一緒に育った従妹とともに何度も泣いて、泣いて・・・。おかしな話だった。私はほんとうに哀しかったのか?今でもよくわからない。自分の涙がほんものだったのかどうかよくわからない。それがよくわからなくなる根拠は、実はもう一つ別の葬儀の記憶があるからである。

それは義理の祖母の死で、今から十年以上前、結婚して1年半たったばかりの頃だった。義祖母は新潟にいて、私達夫婦は当時、東京に暮らしていた。会ったことも2~3回だったと思う。それなのに私はわんわん泣いたのだ。ほとんど何の思い入れもない人の死であれほど泣けた自分を思い返すと、単純なもらい泣き以上の何かが私を動かしていたことに思い当たる。義祖母の死にしても、実祖母の死にしても、私はけなげで情の深い孫を演じたかったのかもしれない。それとも「死」はそれまでのすべてをリセットして、いかなるマイナスの記憶も、そればかりか何の記憶もないところにも、敬虔な気持ちと離別の哀しみを引っ張り出してきて、涙でそれを証明すべきものという観念が私のどこかにあったのだろうか。いずれにしても、あの時の涙は、嘘ではなかったと思うが、吹けば飛んでいく安っぽいものでしかなかった気がして、今さらながら二人のおばあちゃんに申し訳ない気がしている。

 このたびの祖父の葬儀の際には、2ヶ月前の悔いをひきずっていたわけだし、一番泣いてもよさそうなものだった。けれども、かつてよりは自分の中のうさんくささを嗅ぎ分ける能力をいくらか習得していた私は、最初から、ほんとうの意味でごく自然にしていようと決めていた。祖父には個人的にはなんの感謝も恩義も感じていない。楽しかった想い出も、戻りたい過去もない。これが私の内面の現実なのだ。これが正直な気持ちである以上、どうして無理にないものをかりたてて哀しみや感謝の気持ちをひろげ出す必要があるだろう?私は親族だからここにいる、ただそれだけだ。

そう開き直っていたから、私の気持ちはいたって冷静だった。哀しみに暮れることもなければ、哀しみを求めて自分の心の中をひっかき回す必要もない。ただ淡々と親類縁者の集まりに参加し、わずかにゴールデン・ウイークに会えなかったことの非を心の中で詫びているだけだった。「これでいいんだ」と心から思った。自分の等身大の心情に沿った表情でいる自分に満足していた。

 ところが、である。最後の最後に思いがけない展開があった。それはもちろん自分ではまったく予想外のことだった。
葬儀が済み、これから火葬場へ運んで行くという時、「これが最後の見納めとなります」と棺のふたが外され、会場に飾られた幾多の花々が参列者の手に手に渡された時、私はようやく対面した祖父の顔を見た途端、まったくいきなり「おじいちゃん、ありがとう」という素直な気持ちが心の底から湧き上がってくるのを感じたのだ。ほんとうにそれは思いがけなく、自分でも驚いてしまったが、その抑えがたい感情に身をまかせながら、突然あふれ出した涙とともに、夢中で祖父の棺の中に花を納め続けた。おじいちゃん、ありがとう、ありがとう・・・、一緒に過ごした15年をありがとう、この世で私のおじいちゃんとして存在してくれてありがとう、ありがとう、あなたと出会えてよかった、ありがとう、ありがとう・・・。

それは、これまでに私が得てきた美しい道徳性に関する知識から自分の感情を組み立てていったものではなく、身内への愛や情や感謝することの美徳を意識的に自分に仕向けることをやめて、あえてむき出しの薄情さのままでいることを自分に許したところからひょっこり顔を出した、埋もれてはいたけれどまぎれもなくほんものの感情だった。自分の中に、祖父に対してこんな感情が片鱗でも存在していたとは意外だったが、もし、私がこの葬儀に自分の内面の現実をごまかさずに向き合っていなければ、この喜ばしい感情を表に出してやることもできなかったに違いない。

その意味で、私は自分の開き直りを評価することができた。感謝を忘れるな、感謝すべきであるという箴言は、いろんな機会にいろんな形で飛び込んでくる。実際、物の豊かな時代に生きる私達には時々思い起こす必要のある大切な心掛けだ。ただ、思い起こすことと、ほんとうの感謝ができるようになることとは別である。「感謝」「感謝」と朝晩唱えてもほんとうの感謝ができるようになるものではないし、むしろ本心では別のものを望み、違った道を求めているのに、感謝という一言で自分の心を偽りの色に塗り染めてしまう過ちを犯している人がどのくらいいることかと思う。

暴言を吐くようだけれど、感謝なんかしなくていいと私は言いたい。感謝も恩も忘れて、もっとありのままの自分の気持ちをつかんで放さずにいるべきだと言いたい。それがどんなに低俗でも、不道徳でも、等身大の自分でいることから出発しないことには、表面だけの感謝、表面だけの善人、表面だけの平和に生きて、ほんとうの自分は押し込められてあえいでいるのに、それに気付きもしない人生を歩みかねないと思う。自分が正直に感じていることを把握するのは難しく、それを受容するのはもっと難しいけれど、世間的なつじつま合わせの成功者である「いい人」になるよりは、偽りのない人になる方が、生きていて自由で気持ちいいような気がしている。


2003年8月13日


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