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第11回 天職と宿命について ~映画「伊能忠敬」を見て~

 3月に映画『伊能忠敬』を見た。伊能忠敬なんて立派な日本地図を作った人・・・くらいの予備知識しかなかったけれど、思いの外、ガツーンとやられて帰ってきた。加藤剛扮する伊能忠敬は50歳までは百姓として過ごしている。50の時に少し早めの隠居宣言をし、それから本格的に学問を始め、74歳で亡くなるまで延々と日本全国を歩き続けることになった。だが、考えさせられるのは、本人は当初こんなつもりではなかったということだ。彼は日本地図を作ろうなんて志を持っていたわけではない。途中で何度も何度も「もう止めよう」と思いながら、それでも遂にかくなる人生を歩んでしまったのである。天才というのは、天にとっつかまって背負わされた才能という意味で、周りが思うほど本人にとってはありがたいものではないのかもしれない。

 そもそも忠敬の夢は、当時まだ確定していなかった子午線を世界で一番に発表するということにあった。そのためには正確な地図を作成する必要がある。そこで忠敬は江戸中を歩きまわり、複雑な計算をし、確認作業を繰り返してそれを作り上げた。子午線も割り出した。その数字は後に、驚くほど正確なものだったことが証明されるのだが、当時は認められない。通説とされていた数字から掛け離れていたからだ。そこで専門家に、もっと広範囲の正確な地図を作成する必要があるとアドバイスされる。そこで忠敬は歩き続ける。やはり子午線の数字は変わらない。でも、認められたのは子午線でなく、その地図の驚くばかりの精密さ、正確さだった。

 そこで、開拓と征伐のために必要だった蝦夷地の地図の作成依頼がお上から降りてくることになる。数名の補佐をつけてもらったものの何の保証も報酬もないまま、それでも喜んで出掛けて行った忠敬。そこでの彼の仕事に向かう姿勢は、ただただ「よりよき地図」を完成したいという意思のみに忠実なものだった。数知れぬ困難も労苦も、大きな目的の前では、ごちゃごちゃ言ってる場合ではない小さな問題になってしまう姿が浮かび上がる。映画としての脚色はもちろんあるが、概して、偉大な仕事に身を投じる人間に愚痴など言っているヒマなどないものだ。

 蝦夷地の地図作成は2回にわたって行われ、仕上がった地図はやはりあまりに出来がよく、そこから先は、次は東海道、その次は西日本、そして九州・・・という具合に終わりなき依頼が続くことになる。老齢でもあり、途中で子午線のたしかな数字が西洋人に先を越されたことを知り(それは忠敬が出していた数字とほぼ一致していた)、もう地図を作る必然も欲求もなくなる中、お上からの依頼は続く。「これが最後」「これが最後」と思いながら測量の旅を続ける忠敬の胸の中には、「自分はなんのためにこんなことをやっているのか。測量の技術は既に若い者たちに伝えた。何故、私が行かなければならないのか」という思いが何度となく駆け巡ったであろう。

 だが技術は伝わっても、仕事に向かう精神性までは容易に伝わるものではない。依頼する側は、その違いが仕事のレベルに決定的な差を生むことをよく知っているのだ。「あなたに頼みたい」と言われるその真意を、忠敬自身も次第に理解したはずである。老齢、専門外、家族の反対・・・そんな常識的な判断を捨てさて、「自分がやるしかない」と腹をくくらせたところには、やはり宿命と呼ぶほかない力が働いていたと思う。

 この映画の自主上映に関わった主催者側の男性が「伊能忠敬は中年男の夢、憧れです」とステージで話していたが、たしかに50歳から始めてもここまで大きな仕事を成し遂げ得るという事実は、私達にはかりしれない希望と勇気を与えてくれる。努力への意志とエネルギーも呼び起こしてくれる。ただ私達凡人はいつも見落としてしまうのだ。天につかまった人間に背負わされた苦悩の烈しさ、試練の重さを。老境のふちにあって今さら名誉心から日本中を歩きまわれるものではない。家族を捨て、恋人を捨て、孤独と非難を甘んじて受け容れながら測量を続ける忠敬の心の内は、想像にあまりある。非凡な精神には、いつか常識的な「善」を捨てていかざるを得ない局面が訪れるものだ。そこを乗り越えられる精神だけが、天の仕事に殉死できるとも言えるのだろう。

 忠敬の作り上げた地図は、誰もが仰天するものに仕上がった。全て忠敬亡き後のことだがこの地図にまつわる逸話はたくさんある。例えば、日本の技術の高さを知らせたくてイギリスにこの地図を複写して送った人物は、日本の最重要機密を他国に知らせた咎で投獄されてしまった。だが、その地図を見たイギリス人はやはり非常に驚いて、その地図をずっと大事に仕舞いこんでいた。それでも西洋諸国に秘密裡に出回り、明治維新の幕開けとなったペリー率いる黒船4艘が浦賀に来た時、測量の技術者が1日沿岸付近を調査してその地図が高レベルの確かなものであることを確認したことで、野蛮な戦略でなく紳士な近づき方をすることになった・・・などなど。どの話もあり得ることだと思えるのは、忠敬の日本地図を私も実際に目にして、これはタダモノではないと衝撃を受けたからかもしれない。

 それにしても、与えられた仕事はどんな条件下でも手を抜かず1つ1つきっちり仕上げていくという単純で当たり前なことに、どれだけ価値を見出し、実行できるかによって、人は思いがけず大きく分けられてしまうものだと考えさせられる。「この世に雑用はない、雑に用を済ませればそれが雑用になるのだ」と言った人物がいたが、昨今主流の「君はなんの仕事がしたいのか」と、まだ何もしたことのない若い人達に愚問を投げかけるようなことはやめて、どんなことでも目の前の仕事にきちんと向き合うことの意味を先に教えてやるべきだろう。天職とか宿命というものは、そうしたところから自ずから拓けていくものなのだから。


2003年4月26日

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