~暮らし・子育て・生きることを考える~ムックマムへようこそ!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

第8回 良き母・悪しき母 -岡本かの子と太郎の母子関係から思うー

 「芸術はバクハツだ!」の名言で有名な芸術家、岡本太郎が自分の父親と母親のことを語った『一平 かの子・・・心に生きる凄い父母』(チクマ秀版社)をたまたま手にして、母と子の理想的なあり方って?と考えさせられるものがあった。
 母、岡本かの子は文学者として後世に名を残している人だが、かの子のことはその作品とともに人間的魅力で話題に挙がることが多い。子どもがそのまま大きくなったような純真さ、清浄さ、不器用さを終生持ち続け、それをまったくの無防備な状態で受け止めては傷つき、悲嘆にくれ、それでも己が生命をあらん限りの情熱に燃やし続けて生きた女性。生きているあいだは世間から誤解され続けた哀しい人であったが、俗悪さに染まった世間並みの目には純粋さはかえって不純なものとして映ってしまったからだろう。

 幼少の頃から人並みでなかったかの子は、「嫁にやれるような子ではない」と、その両親は何かの芸の師匠にでもして一生を静かに暮らさせようと考えていたらしい。ところがニヒリストにしてダンディな芸術家、岡本一平の熱心さに押されて「必ず一生めんどう見てくれますか」と血印を押させて嫁にやることになったという。ところが、どんなに純粋であっても童女のようにむき出しのままに生きるかの子の猛烈な一途さは、向き合おうとする者にどれだけの負担を強いるものであったか。一平は大変なお荷物を抱え込んでしまった運命に苦悩することになり、それはかの子も同様であった。
二人の苦悩は二人を宗教にも導いた。そこから仏教研究者としてのかの子も生まれた。そして遂に一平は最後まで・・・つまりかの子が五十歳で亡くなるまで、自分の魂の限りを賭けてかの子を守り、支え、わが運命をまっとうしたのだった。それはかの子という大荷物を抱え込むことがとてつもない苦しみであると同時に、他のどんなことでも得られない精神的な喜びと、内的に高まり澄んでいくという果実を手にすることができたからではなかったか。

 この夫婦の表面的な軌跡を追うと、それはたしかにとっぴである。かの子は結婚後も夫の了解のもと、若い情人を家庭の中にかこっていたかと思うと、その男が実妹と心を通わせたというので追い出して死に追いやってしまったことがある。それから随分して、今度は入院した先で知り合った優秀な医者を熱烈に追いかけて手に入れ、これまた一緒に住まわせた。同時に、かの子を信奉する若い学生も住まわせて家事を切り盛りしてもらっていた。家族旅行となれば夫含めた男三人と息子太郎と自分の五人で出かけるというありさまだった。物事の表面しか見ようとしない常識人には、我がまま放題の妻と、どこまでも人のいい夫というふうに映るだろう。でもそこには、かの子というウルトラ純粋な存在と出会い、まるごと背負った人物にしか得られなかった深い歓喜、充実感があったということを見落としてはなるまい。これは一平のみならず、長年一緒に暮らした男妾(医者)も同様であったようだ。正確な表現は覚えていないけれど、息子のていたらくを歎いて田舎から連れ戻しに出てきた母親に、医者はこう答えたという。「人生の深い本質的な喜びを一生知らずに死んでいく人が大部分なのに、自分はそうでない人生を得られてこんな幸運なことはない」と。この人物、かの子の亡くなったずっと後年になって故郷で村長になり活躍していたが、「今は余生です。かの子と一緒に過ごしたあの頃の緊張感、充実感から比べれば、今の生活なんかたいした意味もない・・・」と答えたとのこと。一平もまた太郎より若い後妻を得て、子どもをぽこぽこ四人も作ったが、まったく腑抜けて、こじき同然の様子でひっそり暮らして亡くなったという。

 かの子が亡くなった時のこの二人の様子は特筆するに価する。二人は誰にも知らせず、泣き、歎きながら医者はかの子の身体に防腐剤を注射し続け、少しでもその抜け殻を長く保存しようとした。それでも一週間もしてもたなくなると、東京中の薔薇を買い集めて、棺の中を埋め尽くし、墓地を三人分求めて真ん中の地面を掘ってそこにも薔薇を敷き詰め、棺を沈めて埋葬したという。現代では許されていない土葬を、ごくごく自然な感情のままに二人はそうしてしまったのだろう。 それにしても、ここまで人間が人間を動かし得るのかと、私などは大いに唸ってしまう。常識的には非常識きわまりない、非社会的な一生を送った人であったが、月並みなモノサシを持ち出すことが虚しくなる圧倒的なもの、真実のものが彼らの人生には渦巻いているのを見る。太郎も母親を評してこのように綴っている。

「世俗的にいう賢い女、女らしい女とは、およそ縁の遠い、猛烈な女性だった。
生きている間は、私生活においても公の面でも八方破れ。したがっていろいろと批評され、嘲笑され、誤解されとおして死んだ女。~中略~
しかし私は誤解のカタマリみたいな人間こそ、すばらしいと思う。純粋であり、純粋であるがゆえに誤解される。そしてどこまでが誤解であって、実体がどうなのか、自他ともにわからなくなってしまうくらい、スケールの大きい、―やはり母にはそういう、いいしれない豊かさ、悪くいえば妖怪的な趣があった。」(『一平 かの子 心の生きる凄い父母』以下同)

さすがの松田聖子もグウの根も出ないような生き方をしたかの子だが、あるがままに内実をのぞき、受け止めようとするならば、それは、かの子の純粋な内的衝動=真っ正直な生きた命の躍動が人の世の有り体な常識を超えていたというだけで、なんのごまかしも虚栄もない純粋無垢な生き方をした結果がたまたまこういう現象だったというだけだということが見えてくる。それは天が彼女に与えた宿命であり、もっと卑近な言い方をすれば個性であったということだ。天が与えたものを裁く人がいるなら、それはその人が自分の中の純粋さを見失っているということにならないか? 「個性尊重」なんてうそぶくのはやめて、かの子のような強烈さを誰もが自然に受け止められる世の中になってほしいと思ってしまう。
 さて、こんな人並みでないかの子も、岡本太郎という優れた芸術家を産み、育てている。二児の母親としての私は、かの子が母親としてどんな存在だったのか、どんな育児、教育をしてきたのかというところには当然、興味がある。太郎の書いたものを読んでみよう。

「彼女ほど、いわゆる母親らしくない、細々とした世話や心配りに不向きな女性は珍しかったのではないか。不器用とか世事にうといという以上に、自分の生きることにひたすら一生懸命で、子どものことなんか構っていられなかったというのが当っているだろう。
 ごく幼い頃、父が朝早く勤め先の新聞社に出かけて行くとすぐ母は庭に向って机に座し、短冊や色紙に筆を走らせたり、本を読んだり、仕事に打ち込んでしまう。私が動きまわって邪魔すると兵児帯で胴を縛り、柱か箪笥の環にゆわえつけて、また仕事を始める。私がいくら泣いても騒いでも、知らん顔。ふり向いてもくれない。
 今でも思い出すが、泪でいっぱいの目に、動かない母の後姿。その背に束ねもせずさっと垂らした黒髪が、言いようのない威厳と、懐かしさと、憧れで迫った。怨めしいが、私はそういう母を愛した。」

 少し大きくなると今度は、目と鼻の先に学校があるというのに、太郎は小学校六年間、寄宿舎に入れられる。もちろん、かの子が仕事に集中できるようにという理由からだ。そして中学生にもなると、今度は妹のように太郎に甘え、頼りにするようになった。いやもっとずっと幼かった頃から、己が身に生じる人生の悲哀や世間の冷酷を切々と訴え、語りかけてくるような母親だったそうだが。
 要するに、世間並みで言う「良き母親」から大きな隔たりがあったばかりか、ほとんど「母親失格」の域にいた女性であったというわけだ。それでも太郎は、そんな母親の後ろ姿に威厳、懐かしさ、憧れを感じたという。そういう母を愛したという。実際、太郎の手記を読むと、見栄もごまかしもなく母への思慕で埋め尽くされているのを感じる。それもべったりとしたマザコン的な情愛でなく、独立した魂と魂が理解し合い、尊敬し合い、愛し合っていたことが伝わってくる。

「この頃一般に、入社試験にまで母親がついてくるとか、結婚しても親離れしない息子、過保護で子離れできない母親の悲劇などが問題になっている。いかにも濃密な親子関係のように言われるが、実はお互い、自分が大事で、自分のために相手が要る、甘やかし、狎れあっているだけのことなのだ。人間として相手を尊敬し、認めているとは私には思えない。」

 太郎はこう書き、高校生たちと座談会に出た時、「母親べったりで、何でもやってもらうことが当然と思っているような少年たちが、母親のことを語る言葉が意外に冷たかった」と驚きを見せている。「お母さんと話しあうことなんて何もない」「うるさい」「ほっといてもらいたい」異口同音にそんなことを言う少年たちに、思わず怒鳴ってしまったと言う。

「私は自分の経験に即して言うのだが、母親が子どもの面倒を見る、見ないなんてことはどうでもいいことだ。ただ、人間として、いつもなま身でマトモに対決すること。親と子などという、きまり、枠の中にはまり込んで、惰性的になれあってしまわないで、人間対人間として、ヒタと向いあう、それが大事だと思うのだ。」

 かの子のような子育てが理想だなんてことは絶対に言えない。理論上はかの子の子育ては最低最悪である。最低最悪だけれども、結果として子どもは非常によく育った。ここが実人生の面白くも不可思議なところだと思うが、私がかの子と太郎の例から考えさせられるのは、子育て理論=理想論に沿って、いいお母さんになろうと克己、努力することが、いったいどこまで意味があるんだろうということである。大きな目で見た時、何が正解で何が間違いかということは、そう簡単に結論が出ない。

 子どものために良き母親であろうとする、これはもちろん大事なことに違いないけれど、同時に落とし穴もそこにはあって、善と悪を自分の中に明確に持つ人間ほど、このことに気付かず突き進んでいってしまうように思える。
 子どもの幸・不幸は母親次第だと思っていないか? 母親次第で運命が右にも左にもなるもののように感じていたら、それは子どもが自分とは別個の独立した魂を持つ存在であることを忘れかけている兆しかもしれない。一見、理想的に見える母親の方が、潜在的に子どもを所有物のように考えている可能性が高いと私は見ている。そういう親と、その歪んだ愛情にも健気に応えようと自分を見失っていく子どもは、暴力や憎悪でなく愛情に基いている分、かえってぬきさしならない苦しい関係に陥っていく。
 こういう関係の行き着く先の弊害が現代ではどんどん出てきているのではないか。問題のないように見えた家庭から後々になっていろんな形で問題が出てくる。あるいは問題というほどわかりやすい形でなく、一人の人間形成において重大な欠落を作ってしまう、などなど。母親はどこまでも善意のつもりでいる。だから、やっかいだ。子どもがやがて自分自身の問題の原因の一端をその母親に認めたとしても、母親は決して認めないだろう。認めることなどできないのだ。

 善意の母親にはなるまい。・・・こういう決意を是非とも持ちたい。それより自分自身の人生をもっともっと豊かにしていかなければ。自分がどれだけの存在だというのか? やるべきことはまだまだあるはずだ。

 われわれ凡夫の徒には、かの子ほど純粋でひたむな後ろ姿を子どもに見せてやることはできないかもしれない。でも、少なくとも「子どものために」というスタンスを第一義に置くのはやめて、母親自身がまず自分の人生に真剣に向き合うこと、「自分のために」生きることを決意した方がいいと思う。子どもは子どもで自分の人生を生まれる前からちゃんと持ってきているから、親が関わってやるべきことなんか、実はほんのちょっとに過ぎない。ヘンに「子どものため」と思って生きている親など、長い目で見たら子どもにとって大きなお荷物にしかならない。

 親が子どもに与えてやるべきもの、それは三度の食事と、人生は真剣に取り組むに値するものだと感じさせる気迫ある後ろ姿、そのくらいではないかと思う。自分の人生を放棄して、子どものため、子どものため、と自分の魂を見失っている親の姿に、やがて大人になっていく子どもが一人の人間として敬意を持つことができるだろうか。そういう大人を見て、どうしてこの先に延々と続くわが人生にひたむきに向き合う必要があると感じられるだろう。

 良き母になろうとするな。子どもが生まれても何でも、まず自分の人生を内的にまっとうするために生きること。そうすればおのずと、その人、その家庭に合った子どもとの付き合い方が整ってくるはずだし、その上で、子どものためにどうしてもしてやりたいことがあれば、してやったってちっとも悪くないっていうことになるだろう。


2002年7月14日

PageTop
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。